ADHDをインドではどのように考えるか

とある本より抜粋

「インドでは、ADHDについて米国とはかなりことなった見方をしているようです。(中略)インドの列車に乗っていたとき、同席したインドの医者と話しをする機会がありました。

彼らがADHDをどうみているか、興味があって、私は尋ねました。「ひどく刺激を求めながらも、ひとつのことにじっくりとどまっていられない。そんなタイプの人をみかけたことがありますか?職を転々とし、時には人から人へと関係をかえて、決してひとつところにじっとしていない、そんな人たちなのです。

「ああ、そういう人ならよく知っていますよ。」一人が答えると、ほかの3人もうなずきました。
「そういう人をなんと呼んでいるのですか。」と私。
「まさに聖人と呼んでいます。老いたる魂で、カルマの周期の最終段階に近づいている人たちです。」
私のびっくりした様子に、ほかの3人がさっきより幾分強く、そのとおりとうなずきました。
「老いたる魂?」私達が障害と呼ぶものに対して、なんとも風変わりな描写です。
「そうです。」今度は医者が応じました。
「私達の宗教では、生まれ変わりの究極の目的は自分自身を世俗的なしがらみや欲望から解き放つことだと信じています。生まれ変わるそれぞれの人生で何がしかの教訓を学び、ついにこの世から解脱して、あなた方の言う神と同一化できるのです。その魂が何千と言う人間の姿の最後に迫ると、前世から引き継いだ残りわずかな寿命をすっかり使い切るため、彼はいくつかの生涯をすごし、それこそ山ほどのことをしなくてはなりません。」
「それが悟りを開きつつある人の姿です。」最初のビジネスマンが付け加えました。「そんな障害は困難かもしれませんが、そのような人に対して、私達は深い尊敬の念を抱いています。」
もう一人のビジネスマンが指を一本立てて、言葉をはさみました。「でも、それは、そのような人生で魂を浄化するための困難なのです。」みんながまたうなずきました。
アメリカでは、これを精神障害とみなしているんです」。私の言葉に三人ともびっくりし、笑い出しました。
「あなたの国では、我々の聖人、ヨーガ行者とスワミ(神の化身)も気のふれた人とみなしてしまうのですね」と医者が憂いに帯びた声で言いました。」

この記述をみたとき、本当に驚きました。
インドってなんか、すごいなぁ。

インドには6回ぐらい行ってるんですが
もう一度いってみたいと思いました。


ADHDサクセスストーリー―明るく生きるヒント集

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